書評
001. 烏山健吉『二度目はない初当選』
志張陽太郎
なんだか政治的な話なのかと思わせるタイトルだが、そうではない。たまたまわかりやすい言葉として「初当選」が選ばれただけである。こういうのはおそらく編集者が考えたマーケティングなのだろう。
どういう層に読んでほしい本なのかということがタイトルの決め手になると思われるから、少なくとも多少は政治的なことに関心のある層がターゲットなのだろう。これが「初婚」だったり「初版」だったり「初対面」だったり「初潮」だったり「初七日」だったりすれば、それぞれそれらしいタイプが本を手にとるに違いない。
私は政治的なことにはまったく興味がないので、本来ならこのタイトルの本には見向きもしなかったはずである。それではなぜこの本を手にとったのか。
実は、隣にあった別の本を買おうとしていたのである。しかしどういうわけかこの本を引っぱり出してしまい、気づいたのはレジだった。
慌てて「あ、これ、買おうとした本じゃなかったですね」と言おうとしたのだがレジの青年が笑顔で「カバーをおつけしますか?」と訊いてきたので「はい。お願いします」となぜか言ってしまったのだ。
私にはこういうことがよくあり、食べもの屋で注文する時、つい別の単語が頭の中に浮かび、わけのわからない注文をしてしまうことも多い。
あれは去年だったか、居酒屋の前を通りかかった時に「焼魚定食」の文字が眼に入った。焼魚なんてもう何十年も食べてないなと思い、たまにはそういうのもいいかとふらり店に入った。
私は居酒屋のガヤガヤした感じが苦手で、行くことはまずない。しかし昼時のオフィス街であるからして飲んでいる客もいないだろうと踏んだのだった。そしてそれは正しかったのだが、ここで上述の失敗をするのである。
「焼魚定食をください」と言うつもりであった。ところが店員が伝票とペンを構えたまさにその時、壁に貼ってあった「挑戦乞う! ジャンボカレー 2 kg」の文字を眼の隅でとらえてしまったのである。
2 kg のジャンボカレーなんて食べるやつがいるのかな、と思った瞬間私の口はそれを音声化して発していたのだ。しかも、言いはじめてすぐに「しまった」と思ったものだから私の声はそこで止まったのである。
結果的に「2 kg のジャンボカレー」とだけ言ってしまった私に微笑みかけながら店員は店中に通る大声で「ジャンボカレー、挑戦で〜す」と叫んだのである。
五分後、私の前にはジャンボカレーが置かれていた。見た瞬間にこれはもうダメだと思った。カレースプーンがティースプーンに見え、大きさという感覚が一瞬マヒした。
私は育ちがいいので、ものを残せないのである。量のことは考えないようにして、無心になって食べた。味なんてわかりゃしない。それでも、死ぬ気になって食べつづけた。
今までに傷つけてしまったかもしれない友人、恋人、その他かかわった人たちが頭に浮かんだ。申しわけありませんでした。すべて私が悪いのです。
……そこそこ時間はかかったが、驚くべきことに全部食べられた。ライスの最後のひと粒まで、ちゃんと食べた。
するとさっきの店員が現れて「おめでとうございま〜す。ジャンボカレー、完食で〜す」と声を張りあげ、さらには「みなさま、拍手をお願いしま〜す」と叫んだ。
満席の店内で拍手を浴びながら、しかたがないので私は立ちあがり全方位に笑顔で軽くお辞儀をした。早く逃げ出したい一心で手を振りながら、私は会計に向かった。
店員が叫んだ。「ジャンボカレー、三千円が無料になりま〜す」
血の気が引いた。最悪だ。これではまるで無料にするために必死でジャンボカレーを食べたみたいではないか。私の中でそういうのは卑しいことなのだ。誓って言うが私は無料になるなんて知らなかったのだ。しかしもう遅い。私は「昼時のオフィス街で必死になってメシをタダにしたやつ」なのだ。笑いものだ。
店を出て、もはや満腹も忘れ、私は無表情に歩いた。みじめだった。街路樹が私をせせら笑うかのように大きく揺れた。
秋の風がこの街にも吹きはじめていた。
あれ? なにを書こうとしてたんだっけ……。